「山羊の歌」より。   III     我が生は恐ろしい嵐のやうであった、    其処此処に時々陽の光も落ちたとはいへ。                ボードレール   九歳の子供がありました       女の子供でありました                世界の空気が、彼女の有であるやうに                またそれは、凭(よ)つかかられるもののやうに       彼女は頸(くび)をかしげるのでした       私と話してゐる時に。         私は炬燵(こたつ)にあたつてゐました       彼女は畳に坐つてゐました       冬の日の、珍しくよい天気の午前          私の室(へや)には、陽がいつぱいでした       彼女が頸かしげると           彼女の耳朶(みみのは) 陽に透きました。       私を信頼しきつて、安心しきつて                かの女の心は蜜柑(みかん)の色に                そのやさしさは氾濫するなく、かといつて       鹿のやうに縮かむこともありませんでした       私はすべての用件を忘れ                この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(がんみ)しました。     **可愛らしい子供の仕草を微笑ましく眺める大人の心境を、   実に文学者っぽく事象を鋭く切り取って表現しています。   首をかしげるのが、そこに子供だけがよりかかることのできるもの(空気)がある、   というのはなかなかできない観察です。