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立原道造 虹の輪

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待ってました。次は立原道造です。   私が好きな三大詩人の一人。ある時は中也、ある時は賢治、そしてある時は立原。   どれくらい好きかと言うと、大概部屋が汚いので本がどこへ行ったか分からなくなるのですが、   彼の詩集だけは見つからないともう一度躊躇なく新品を買いに行きます。それで同じ本が3冊くらいあります。非常に無駄です(泣) 。   戦前の第1回中原中也賞受賞者にして、東京帝国大学・工学部のその年度の優秀な設計・製図に対して贈られる(首席を意味する?)辰野賞を3年連続で受賞した秀才、そしてわずか24歳での夭逝。(なんか凄い人って、大概これね・・・)   この男の旋律のような詩はほぼすべてが好きだと言ってもよい。   たまに恋愛詩。彼の代表作。   「虹の輪」   あたたかい香りがみちて 空から   花を撒き散らす少女の天使の掌が   雲のやうにやはらかに 覗いてゐた   おまへは僕に凭れかかりうつとりとそれを眺めてゐた   夜が来ても 小鳥がうたひ 朝が来れば   叢(くさむら)に露の雫(しずく)が光つて見えたー真珠や   滑らかな小石や刃金の叢に ふたりは   やさしい樹木のやうに腕をからませ をののいてゐた   吹きすぎる風の ほほゑみに 撫でて行く   朝のしめつたそよ風の・・・・・・さうして   一日(ひとひ)が明けて行つた 暮れて行つた   おまへの瞳は僕の瞳をうつし そのなかに   もっと遠くの深い空や昼でも見える星のちらつきが   こころよく こよない調べを奏でくりかへしてゐた   *立原らしい甘い調べでセンチメンタルに詩は進行する。   二人は「個人」であり、世界におののいているが、   「おまへの瞳は僕の瞳をうつし」、以後、   二人はお互いの瞳の中にお互いに足りないもの(絶対に見えないもの)が映し出されていることを知り・・・。   写真は先日休館になった本郷弥生の立原道造記念館。残念でならない。

大手礼二郎 てんじょう

むねのおくよりつきあぐる いらだちのこころもて きみのなよべども こころみつるすべになく だいのじにあおむきて てんじょうをみつむるほどに ちち ちち と なみだあふれり

ゲーテ 心やさしき人々に

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「心やさしき人々に」 詩人は沈黙することを好まない。 あまたの人々に自分を見せようとする。 賞賛と非難とは覚悟の前だ! だれも散文でざんげするのは好まないが、 詩神の静かな森の中でわれわれはしげしげと バラの花かげに隠れて、こっそり心を打ち明ける。 わたしが迷い、努め、 悩み、生きたことのくさぐさが、 ここでは花たばをなす花に過ぎない。 老いも若さも、 あやまちも徳も、 歌ともなれば、捨て難く見える。 訳者 高橋健二がこの文庫の「序」にかえて掲げたゲーテの詩。 古本屋の50円棚で、この扉裏のまえがきを読んで、感動して買った時の事を思いだす。斎藤さんの本でもね↓ (斎藤さんいたら連絡ください、さすがにいないか)  

リルケ 

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もろもろの事物のうえに張られている   成長する輪のなかで私は私の生を生きている   たぶん私は最後の輪を完成することはないだろう   でも 私はそれを試みたいと思っている   私は神を 太古の塔をめぐり   もう千年もめぐっているが   まだ知らない 私が鷹なのか 嵐なのか   それとも大いなる歌なのかを      ドイツ語詩人、リルケ (1875-1926) の詩。   私は「この成長する輪」を、職業柄、らせん状の DNA であったり、たんぱく質であったりするイメージでこれまで捉えてきた。ある人はこれらを膨張する宇宙や、銀河のように捉えるかもしれない。   どういう理由か、この詩は私にある癒しを与えた。   なお、ワトソン・クリックによる DNA 二重らせんの発見は 1953 年である。  

大手礼二郎 秋像

白じろと ジルベルの流れの中に くさわけて そっとたつもの おいしげる しじまの奥に 故なくて そっとたつもの その末に 星のしたたり その本に すだく虫の音 一つつらなる 木がくれの 時のおとない 身にしみて そっとたつもの 白じろと ジルベルの流れの中に おののきて そっとたつもの 大手礼二郎「風の思惑」収録

谷川俊太郎 空の青さをみつめていると

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空の青さを見つめていると   私に帰るところがあるような気がする   だが雲を通ってきた明るさは   もはや空へは帰ってゆかない   陽は絶えず豪華に捨てている   夜になっても私達は拾うのに忙しい   人はすべていやしい生れなので   樹のように豊かに休むことがない   窓があふれたものを切りとっている   私は宇宙以外の部屋を欲しない   そのため私は人と不和になる   在ることは空間や時間を傷つけることだ   そして痛みがむしろ私を責める   私が去ると私の健康が戻ってくるだろう   谷川俊太郎 「六十二のソネット 41」   ・・・これは上手いな。「二十億光年の孤独」と並んで好きな詩。   (写真はアメリカ西海岸 San Diego の乾いた空 凄い青だった・・・。2009年3月)  

さとう宗幸 青葉城恋唄

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これはアマチュアの方が作詞して、さとう宗幸がDJをつとめるラジオ番組に応募した詩らしい。   正確には「歌詞」になるが、それにしてもきれいな詩であると思う。   広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず   早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳    季節[とき]はめぐり また夏が来て    あの日とおなじ流れの岸    瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない   七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず   夜空輝く星に 願いをこめた君の囁き    季節はめぐり また夏が来て    あの日とおなじ七夕祭り    葉ずれさやけき杜の都    あの人はもういない   青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず   樹かげこぼれる灯に 濡れていた君の頬    季節はめぐり また夏が来て    あの日とおなじ通りの角    吹く風やさしき杜の都    あの人はもういない    季節はめぐり また夏が来て    あの日とおなじ流れの岸    瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない   Youtube↓ http://www.youtube.com/watch?v=tZTqf4n07hw&feature=related 青葉城恋唄は仙台のご当地ソングとしてあまりにも有名だが、他に   このような地方の有名ソングってなにがあるだろう?   私の母はこの歌が好きだったので、このメロディを聴くと母に手を連れられて歩いた七夕祭りの日を歌詞通りに思い出します。   さとう宗幸は私の出身高校、古川高校のOBであり、この歌は「第二校歌」といってもいい思い入れのある歌です。   ちなみに、元横浜、マリナーズの大魔神佐々木は選手名鑑に持ち唄を「青葉城恋唄」と書いていました。

朝の食事   ジャック・プレヴェール

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朝の食事   ジャック・プレヴェール、大岡信訳      あの人 コーヒーをついだ      茶椀のなかに      あの人 ミルクをいれた      コーヒー茶碗に      あの人 砂糖をおとした      ミルク・コーヒーに      小さなスプーンで      かきまわした      あの人 ミルク・コーヒーを飲んだ       それから茶碗を置いた      あたしにひとこともいわず      煙草に      火をつけた      煙草の煙を      輪にしてふかした      灰皿に      灰をおとした      あたしにひとこともいわず      あたしを一度も見ずに      あの人 たちあがった      あの人      帽子を頭にかぶった      あの人      レイン・コートを着た      雨が降っていたから      あの人 出て行った      雨の中へ      ひとことも話さず      あたしを一度も見ずに      そしてあたしは      頭を抱えた      それから 泣いた。   これは男女の別離の場面の名詩なのですが、私なら最後の「頭を抱えた」の件の部分はいらないと判断するでしょう。   その方が、片恋の人の気持ちにも通ずるような効果があるように思うからです。   また、この詩は色々な翻訳がありますが、私はこの翻訳が一番だと思っています。   ジャック・プレヴェールは映画「天井桟敷の人々」でも有名。マルチタレントの人ですね。 これが原文らしい。フランス語できます? 俺2回留年してるからな。。。 (-_-;) 机にうっ伏して泣きじゃくった、というくらいの感じでしょうかね?  この詩の、淡々とした事実の列挙、この感じが好きなんです。この淡々とした感じが逆に、恋い焦がれる人との「距離」を実に遠い物にしているうまい作用があります。  DEJEUNER DU MATIN  Il a mis le café  Dana la tasse  Il a mis le lait  Dans la tasse du café  Il a mis le sucre  Dans le café au lait  Avec la petite cuiller  Il a tourné  Il a bu le café au

小景異情(二)  室生犀星

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大手礼二郎が敬愛したという室生犀星。 犀星の哀愁ある詩のリズムが、彼の東京での孤独な生活の慰めになったのでしょう。 それがこの有名な犀星の小景異情の(二)   国語の時間に習った人も多いのでは?   ふるさとは遠きにありて思ふもの   そして悲しくうたふもの   よしや   うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても   帰るところにあるまじや   ひとり都のゆふぐれに   ふるさとおもひ涙ぐむ   そのこころもて   遠きみやこにかへらばや   遠きみやこにかへらばや   これには実は解釈が難しい所があるのですが、教科書に書かれている質問は、この詩はどこで書かれているか?というものでしょう。   妥当に考えると、これは彼の田舎(金沢)で書かれている、と考えるのが自然のようです。   東京での生活に疲れ果てて田舎(金沢)へ帰ったけれども、   田舎でも彼への風当たりは強かった(犀星は妾の子ということで田舎では差別に苦しんだようです)。   それで、この詩を歌ったのです。つまり、解釈すれば、   ふるさとは遠くにあって思うものだ。   そして悲しく歌うものだ。   たとえ異土の乞食になったとしても、   帰るところではない。   「一人都の夕暮れに、故郷を思い涙ぐむ」   その心をもって、   遠いみやこ(東京)へ帰りたい。   遠いみやこ(東京)へ帰りたい。   「都」と「みやこ」の違いは、東京と金沢、と取る解釈もあるようですが、   私が思うには、これはどちらも東京で、   彼が理想としたみやこと、現実の都の違いを表現しているのだと思います。   (写真は金沢の室生犀星記念館で購入した小景異情の復刻原稿と絵葉書)

ある日

これは、「風の思惑」収録の、「ある日」という詩に、作曲家の小林康浩氏が曲をつけたものである。大手礼二郎によれば、この詩は彼の四十代以降の詩ということになっている。 ある日 ある日 風がふくと うつろな胸に 反響した ある日 雨の中で あふれでる涙を おさえた また ある日 足が棒になるほど 日照りを歩き そのあとで すきとおるように 白い 可憐な 草花をみつけた 非常に平明な詩である。作者の中で何が反響したのかは知る由もないが、雨の中という水蒸気飽和の中でさえも涙があふれ、足が棒になるという感覚の中でさえも何気ない草花に感動することができるという人間の、あるいは人生の奥深さを「ある日」というリフレインによって連続性を出す効果を出していると思う。 詩は現代では歌詞にとって代わられたという説がある。趣味の多様化した現代では、容易に音楽を手に入れることが出来る。また、疲弊した心には音楽の方が直截的に訴えるのは間違いないのである。しかしながら、詩の可能性は各自が自由なメロディで心に刻むことができるということであろう。自由なイマジネーションの中で生きる人間にとって、詩が歌詞に代わるということはありえないと思う。詩の世界では、静謐の中にも音楽が宿る。 作者は詩の「リズム」ということを意識していた。メロディをつけられるような美しい詩のリズムがあるはずだと。何気ない現実世界の中から、音楽性に富んだ文字列で静かな感動を引きだすのは詩人の仕事である。いい詩はいい音楽を引き連れてくると思う。

舞とおおけすとら

秋--- 日はしょうしょう 天は虚空(くう) 雲のもだえの うさうささ 白い衣 百葉への 舞と おおけすとら うらぶれた ひとの こころに 風と 葉と ためいきと うつむきたるおのれ 朽ち葉への あわき のすたるじあ 牡牛の目(アルデバラン)の 赤や いかん ざくろの はじけた 赤さ つめたきものたれ 星の したたり 目に ひかり 秋--- 影の ゆく 影への 舞と おおけすとら *近代文芸社刊 大手礼二郎「風の思惑」収録。 あおい蛾のためいき(1955-1956)より

大手礼二郎の世界

宮城在住の詩人 大手礼二郎が2010年8月17日に息を引き取った。 74歳だった。 ここに彼の生前の詩を掲載していくブログを作製する予定。