投稿

9月, 2010の投稿を表示しています

ある日

これは、「風の思惑」収録の、「ある日」という詩に、作曲家の小林康浩氏が曲をつけたものである。大手礼二郎によれば、この詩は彼の四十代以降の詩ということになっている。 ある日 ある日 風がふくと うつろな胸に 反響した ある日 雨の中で あふれでる涙を おさえた また ある日 足が棒になるほど 日照りを歩き そのあとで すきとおるように 白い 可憐な 草花をみつけた 非常に平明な詩である。作者の中で何が反響したのかは知る由もないが、雨の中という水蒸気飽和の中でさえも涙があふれ、足が棒になるという感覚の中でさえも何気ない草花に感動することができるという人間の、あるいは人生の奥深さを「ある日」というリフレインによって連続性を出す効果を出していると思う。 詩は現代では歌詞にとって代わられたという説がある。趣味の多様化した現代では、容易に音楽を手に入れることが出来る。また、疲弊した心には音楽の方が直截的に訴えるのは間違いないのである。しかしながら、詩の可能性は各自が自由なメロディで心に刻むことができるということであろう。自由なイマジネーションの中で生きる人間にとって、詩が歌詞に代わるということはありえないと思う。詩の世界では、静謐の中にも音楽が宿る。 作者は詩の「リズム」ということを意識していた。メロディをつけられるような美しい詩のリズムがあるはずだと。何気ない現実世界の中から、音楽性に富んだ文字列で静かな感動を引きだすのは詩人の仕事である。いい詩はいい音楽を引き連れてくると思う。

舞とおおけすとら

秋--- 日はしょうしょう 天は虚空(くう) 雲のもだえの うさうささ 白い衣 百葉への 舞と おおけすとら うらぶれた ひとの こころに 風と 葉と ためいきと うつむきたるおのれ 朽ち葉への あわき のすたるじあ 牡牛の目(アルデバラン)の 赤や いかん ざくろの はじけた 赤さ つめたきものたれ 星の したたり 目に ひかり 秋--- 影の ゆく 影への 舞と おおけすとら *近代文芸社刊 大手礼二郎「風の思惑」収録。 あおい蛾のためいき(1955-1956)より

大手礼二郎の世界

宮城在住の詩人 大手礼二郎が2010年8月17日に息を引き取った。 74歳だった。 ここに彼の生前の詩を掲載していくブログを作製する予定。