詩の味わい

このページは、無名詩人 大手礼二郎(故人)の詩と、古今東西にわたる多くの詩人の有名詩を歌っていくページです。大手礼二郎詩集「風の思惑」と未刊の第二詩集以後、補遺、その他、管理人が好きな詩を中心に紹介して行きます。

2010年9月25日土曜日

ある日

これは、「風の思惑」収録の、「ある日」という詩に、作曲家の小林康浩氏が曲をつけたものである。大手礼二郎によれば、この詩は彼の四十代以降の詩ということになっている。

ある日


ある日 風がふくと
うつろな胸に 反響した
ある日 雨の中で
あふれでる涙を おさえた
また ある日
足が棒になるほど 日照りを歩き
そのあとで
すきとおるように 白い
可憐な 草花をみつけた

非常に平明な詩である。作者の中で何が反響したのかは知る由もないが、雨の中という水蒸気飽和の中でさえも涙があふれ、足が棒になるという感覚の中でさえも何気ない草花に感動することができるという人間の、あるいは人生の奥深さを「ある日」というリフレインによって連続性を出す効果を出していると思う。

詩は現代では歌詞にとって代わられたという説がある。趣味の多様化した現代では、容易に音楽を手に入れることが出来る。また、疲弊した心には音楽の方が直截的に訴えるのは間違いないのである。しかしながら、詩の可能性は各自が自由なメロディで心に刻むことができるということであろう。自由なイマジネーションの中で生きる人間にとって、詩が歌詞に代わるということはありえないと思う。詩の世界では、静謐の中にも音楽が宿る。

作者は詩の「リズム」ということを意識していた。メロディをつけられるような美しい詩のリズムがあるはずだと。何気ない現実世界の中から、音楽性に富んだ文字列で静かな感動を引きだすのは詩人の仕事である。いい詩はいい音楽を引き連れてくると思う。


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